活字鋳造所・蔵出し記事

 名古屋活版の記事のついでといってはなんですが、もう一つ活字鋳造所の記事を。
 これは、印刷系某協会の会員向け冊子に掲載するはずだった記事で、書いたのは2009年の3月ごろです。
 最初、先方から連載のお話をいただいて、いくつか企画案を出した中から選ばれたのが「絶滅危惧印刷」というものでした。活版やガリ版、コロタイプ、手動写植、プリントゴッコ等々、いま消え去ろうとしている印刷について、現状をリポートするというものでした。
 ただ、シリーズ名が「絶滅」では差し障りがあるから「今を探る」で、ということになり、記事内容にもOKが出て初校まで出ていたものなんですが、そこで某協会内から「今さら活版もないだろう」という意見が出たということで、結局お蔵入りになったんです。
 担当者からは「今の印刷会社の経営者が読んでも参考になるような、希望のある内容に直してほしい。工夫して苦境を乗り越えてきた、というような」と言われたんですが、「そうすると詐欺みたいになっちゃいます。絶滅危惧種の印刷の未来に希望もへったくれもないです」といったらボツになりました。
 せっかくなので、ここで蔵出しします。
 (人物写真は割愛しました。記事の最後に次回の予告もありますが、初回がボツになったので当然次回もありません。)

印刷温故知新
活版印刷の今を探る1


街の新刊書店に行き、本を開いてみる。そこには当然のように、平版オフセット印刷による文字や写真が並んでいる。経済産業省『工業統計表品目編』によれば、2006年の時点で印刷物の出荷額は平版の印刷物が全体の72.9%を占めており、凸版印刷が7.1%、凹版印刷が7.5%、紙以外への特殊印刷が12.6%とある。こと出版物の印刷に限れば、80%以上はオフセット印刷になるのではないだろうか。
 一方、一歩古書店に足を踏み入れれば状況は一変する。活版や原色版、グラビア印刷、石版、銅版、コロタイプなどが1冊の中に同居し、それぞれの特徴をアピールしている。今ではアートギャラリーに並ぶことの多い石版画や銅版画が、印刷物として一緒に綴じ込まれている姿に、牧歌的な気分を感じる印刷人も多いのではないだろうか。
 このコーナーでは、今日ではなかなか見ることができないさまざまな印刷物や印刷技術の今を探り、記録に残していきたいと考えている。まずトップバッターとして、文字印刷で一世を風靡した活版印刷を取り上げてみたい。


活版印刷とは】
 本誌を読まれる方には言わずもがなだが、最初に少しだけ活版印刷について。活版印刷とは、出っ張った部分にインキを着ける凸版印刷の一種で、文字どおり金属の活字を用いる印刷方法のことである。鉛、スズ、アンチモンの合金からなる活字を、原稿どおり1文字ずつ拾い(文選)、ページに組み上げて(植字)原版を作り、印刷する。部数が多い場合には原版から紙型を取り、鉛版を作る。紙型は原版の凹凸を写し取った紙製の鋳型で、これに活字合金を流し込んで原版を複製し、印刷用の鉛版を作る。印刷後は、活字をケースに戻すなり活字や鉛版を溶かすなりして再利用する。
 木活字や整版ではなく、金属の活字を使った活版印刷が最初に日本に入ってきたのは16世紀末期。キリシタン版(16世紀末期)や駿河版(17世紀初頭)が知られているが、本格的な商業としての活版印刷の始めは、本木昌造が1870年に設立した新町活版所だとされている。それから約百年間、活版印刷は日本における文字印刷の主役であり続けた。しかし、1960年代から70年代にかけて、写真植字、オフセット印刷が台頭し、出荷金額は1972年、事業所数も1981年には活版(凸版)印刷と平版印刷の比率が逆転する(『工業統計表品目編』)。今では活版の印刷物を目にする機会もすっかり少なくなった。


【活字鋳造所を訪ねる】
 東京都新宿区榎町に、現在も活字を鋳造している佐々木活字店(佐々木精一社長、従業員4人)がある。1919年の創業以来、印刷用活字の鋳造を主に、戦前はタイプライター活字の鋳造、現在は組版、印刷まで行っている。
 同社の塚田正弘氏は、「最も忙しかった1950年代前半には、職人1人に鋳造機1台、15〜16人がフルで働き残業しても間に合わなかった」と言う。そのころ、日本でもベントン式彫刻機が普及し、「電胎(電鋳)母型から機械彫りになって、字がすっきりした。その時分はずいぶん需要があった。需要があるからモノタイプ(自動鋳植機)などが発展する」。このような相乗効果もあり、活版印刷の品質はより向上していった。塚田氏によれば、活版印刷の品質が最も良かったのは1965年ぐらいからだという。
 戦前から大手、中堅印刷会社は、自社で活字の鋳造を行っていた。現在唯一同社で鋳造を担当している岸田道一氏も、最初は印刷会社の鋳造部にいた方だ。「印刷屋さんの鋳造と、活字屋の鋳造は微妙に違う。こっちはできたものを売る商売だけど、印刷屋さんは自分のところで使うから、ある程度出来が悪くてもがまんできる。買うとなると、いいもんじゃないとダメ」というような、現金な一面もあったようだ。
 活版印刷が主流だったころは、印刷会社内での鋳造では間に合わず、活字会社にもたくさん注文がきた。やがて印刷会社がオフセット印刷など次の展開の準備に入ったころから、活字会社に文選、組版まで任せることが増え、佐々木活字店でも文選工を雇って対応した。腕の良い文選工は文選箱1箱(9ポで約1000本)を15分で拾ったそうだが、歩合制のため「拾うそばから活字を補充する女工さんがいて、遅れると怒鳴られる」なんてこともあった。しかし、活字を1本ずつ手で拾うのは能率が悪いと、1985年と1987年にモノタイプを導入、最初こそ2台をフルで動かしても間に合わなかったが、数年で仕事が減ってきた。現在は月刊雑誌2誌と、まれに来る単行本を組むのに使っているだけだそうだ。



母型と活字が並ぶ店内


 今回の取材中にも、しばしば活字の注文が入っていた。最盛期には約300社から毎日のように注文が入ったが、現在取引のある会社は約50社。注文票も、昔は字で埋まっていたが、今は1本とか2本であることが多い。製本会社から表紙の箔押し用に活字の注文がくることもある。また最近では、活版印刷に興味を持った若いデザイナーなど、個人からの注文が少しずつ増えているそうだ。そのため、通常は5本単位で注文を受ける本文用活字のバラ売りにも対応している。
 塚田氏は「昔の印刷の職人は、刷ったものに凸凹のあるのは恥だといって、へっこんでいるところに紙をはったりなんかして調整し、平らになるように刷ったもんなんですよね。ところが活版の良さを改めて見出してくれた若い人たちは、その特徴を見せるために、裏から見て出っ張ってるほうがいいって、うんと押しを強くしてくださいって。だからね、分からないです」と苦笑いをしながらも、「若い人が活版印刷に興味を持ってくれるのはありがたい。彼らも一生懸命やっている」とうれしそうに語る。そして目下の心配は、「製造がとっくに終了している活字鋳造機が、いつまで持つか」ということだそうだ。
 丁寧に活版印刷された文字には、オフセット印刷にはないシャープさ、切れ味がある。次回は、そんな活版印刷の魅力に惹かれ、新たに活版工房を立ち上げた若手デザイナーと、現在も質の高い活版印刷を守り続ける老舗印刷会社の取り組みを紹介したい。