大学時代の……

 今日、大学時代の恩師・ゼミと卒論の指導教官だった畑有三先生が、4月16日に亡くなっていたことを知った。
 ちょっと思い出を書いてみる。
 とんでもなく不真面目な学生だった私は、たいていゼミが終る10分前ごろに顔を出し、遅刻扱いにしてもらっていた。5分遅刻も80分遅刻も扱いは同じ。畑先生はいつも苦虫を噛みつぶしたような顔で出席簿に△印を書き込んでいた。
 たまに私がレジュメを書いて発表するときには、いろいろと(理不尽な?)お叱りを受けた。
 内田百間の「とおぼえ」を課題作品に選んだときには、発表前週になって「君が選んだ作品が見つからないから別のにかえなさい」と言われた。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のレジュメで「銀鉄を読んでいて『春と修羅』の一節を思い出した」と書いたときは、「詩の一節を思い出すほど君が宮沢賢治を読んでいるとは思えない。誰かの文章を引き写したんじゃないのか」なんて言われた。正直、先生にはかなり嫌われていたと思う。
 とはいえ、私は先生のことがけっこう好きだった。もちろん恋愛感情ではない。
 畑先生の言葉で強烈に印象に残っているのは、「行間を読むな」というものだ。それまで私は、文学作品の解釈とは「行間を読むこと」だと思っていた。ただ、先生が言わんとしていたのは、「“下手に”行間を読むな」ということだったと思う。作品から受けた印象を語るだけなら、たんなる感想文になってしまう。印象を語るにしても、その印象を得た理由を示せ。作品の意味をただ想像するのではなく、作品や作者自身の言葉の中から、ちゃんと根拠を見つけ出せ。要は、書かれた文章そのものを厳密に読め、ということだ。
 やっつけ仕事で卒論を書き終え、口頭試問に向かうときも、「またいろいろ叱られるんだろうなあ」と思っていた。案の定、私の番がくるなり先生は、「時間が押しているから君はいいか」と言い出した。でも続けて、「驚きました。君の卒論が一番よかった」と言ってくれた。こっちが驚いた。
 その後の飲み会では、「ゼミにはろくに出てこないし、ロクでもない奴だと思っていた」と言いつつも、先生の顔はニコニコしていた。まあロクでもない奴というのは当ってるんだけど、ともあれ、卒業間際になって、急に仲良くなってしまったのだ。社会人になってからも、いろんな相談に乗ってもらい、アドバイスをいただいたりしていた。
 結婚式ではスピーチをお願いした。先生はいきなり私の卒論について語り始めたのだが、「彼が書いたのは坂口安吾の『桜の森の満開の下』という作品についての論文で、そのストーリーを少し紹介しますと」のあとがスゴかった。「8人目の女房が」だとか、「首を斬り」だとか、あげく「結論は“孤独”です」なんて、もう忌み言葉のオンパレードだ。
 こんな、まったく空気を読まない畑先生が、私は大好きだった。もちろん恋愛感情ではない。くどいか。意に反してどんどん不謹慎になりそうなのでもうやめる。私はちゃんと空気を読む人間なのである。
 今年の初め、ずっと年賀状をやり取りしている昔のゼミ仲間と、暖かくなったら同窓会も兼ねて畑先生のお見舞いに行こうか、なんて話していたところだった。こんなことになるなら、その時、年初に行っておけばよかった。いま後悔している。