ベタ組について考えてみた

以下の文章は、あくまで私の感覚を元にしたベタ組についてのメモで、特に根拠はありません。私の想像&妄想です。なので、誰かに検証してもらえれば、もしくはすでに検証したものが公表されているなら、教えていただければ幸いです。
 * * * * * * * * * *
少し前に気になったツイートがあり、本文のベタ組についていろいろ考えてみた。これから仕事が忙しくなりそうなので、今のうちにつらつら考えたことをざっくりまとめておくことにする。
 件のツイートを(勝手に補足しながら)要約すると、「タイトルや見出しなど、文字の形に合わせて細かく字間を調整したプロポーショナル組は美しいが、本文ではそんな手間ひまは掛けられないので仕方なくベタで組んでいる。なので本文では、「っゃゅょ」などの小書きの仮名、縦組中の「へ」や横組中の「く」などの前後が不自然に空いてしまう。要は、美しいプロポーショナル組が理想であり、ベタ組中心の本文は妥協の産物である」みたいな感じだった。
 これは、「組版」というものを意識したとき、誰しも一度は考えることじゃないだろうか。むかし私も同じようなことを考えたことがあったが、今はこのような、「プロポーショナル組が理想、ベタ組は妥協」はちょっと違うんじゃないかと思っている。
 私の考えをざっくり書くと、「本文は読みやすさ優先でベタ組、見出しは文字数が少ないので、読みやすさより見た目の美しさ優先でプロポーショナル組」みたいな感じだ。(ここで言うベタ組は、文字が等ピッチで並んでいる組版、の意味です。禁則処理等々の影響で、すべての行がぴったりベタで並ぶわけじゃないので。)
 あくまで私の場合だが、プロポーショナル組の本文を読んでいると、読むスピードが早くなったり遅くなったりして、船酔いのような気持ち悪さを感じてしまう。まだ1〜2ページ程度の短文なら我慢できるが、長文になると、きつい。
kamisibai.pdfの23ページに、むかし見かけた極端な例をあげているので、できれば実際に読んで感じてみてください。)

まあ、面倒な説明なしでも、実際に自分が言葉を発しているときや文字を読んでいるときの感覚を思い出してもらえれば、すぐに察しはつくと思う。
 たとえば普段の会話のとき、気分のノリによってテンポは変わるだろうが、おおむね1音1音は等ピッチで話しているのではないだろうか。これは、いってみればベタ組でしゃべっているようなものだ。
 話すにせよ読むにせよ、「へ」の前後だけ早口でしゃべる人はいないだろうし、縦組と横組で「へ」と「く」の前後をスピードを変えて読む人はいないだろう。
 ただ、1音=仮名1字を1拍と考えたとき、拗促音などはちょっと微妙になってくる。「っ」や「ー」は1拍と考えて差し支えないが、「ゃゅょ」などはプラス半拍といったところか。ただ、人間の脳の処理能力は優秀だし、また慣れもあって、字数と音の少々のズレなどものともせず、スムーズに読み進めることができる。
 これに表意文字の漢字が入ってくると、脳ではもっとややこしい処理が必要になる。漢字1文字で2〜4音なんてのもあり、読書時の目の動きはそこでどうしても停滞してしまうわけだが、漢字の場合は音というより形から意味をとりながら読むので、リズムの違いはあまり気にならない(漢字が多めだと古めかしく堅苦しい感じがし、リズムの分断も増える分、そんな表記に慣れていないと読むスピードがぎこちなくなるかもしれない。この辺りの感覚は、読む人の年齢・読書経験によってかなり差があるとは思うが)。逆に仮名だけだと音から意味を汲み取る時間がかかるので、これもリズムよく読むのは難しい。やはり、適度に漢字と仮名が出てくる方が読みやすい。
 漢字と仮名の役割分担としては、漢字で意味を正確に(同音異義語などの混乱を避けて)伝え、仮名でリズムを整える、ということではないだろうか。なので、仮名の部分が等ピッチで並んでいないと、読むときの目の動きと目に入る文字のピッチが微妙にずれて、船酔いのような感覚を感じるのではないかと思う。(まあこれは、ベタ組の文章を毎日何十年も読み続けてきた私の感覚だから、デジタルネイティブ世代にも当てはまるかどうかはわからない。)

いずれにせよ、やはり本文組では、文字の形を見る、というより、文章の声に耳を澄ます、という感覚になる。
 短文の見出しが「見せる組版」なら、本文組は「読んでいただく組版」、大袈裟にいえば「奉仕の組版」かな。それを見出しのように組んでしまったら、下手をすると自我の押し付けに、やたらうるさい組版になりかねない。

「おそらく私は、普段の読書のときから全角ベタ組のペースで文字を読んでいるんだろうな」と思い当たったきっかけは、十数年前に担当した書籍のゲラがなぜかプロポーショナルで組まれてきて、それを読んでいたときのことだ。縦組で「一つ」などの字間が極端に詰まっているような組み方で、とにかく気持ち悪かったし、字並びによっては文意もとりにくかった。
 たとえば、縦組で「一二」などと組んだとき、「一」の前後は少なくとも「二」の1画目と2画目の間隔以上に空けないと、「一二」なのか「三」なのかがわかりにくくて読むリズムが止まってしまう。これは私が、知らず知らずのうちに、正方形の仮想ボディを感じながら文字を読んでいるからなのだと思った。先にあげたPDFだと、21ページにそのあたりのことを書いている。要は、四角四面のベタ組じゃないにしろ、「一」が「一」であるとわかるためには、前後にある程度のアキ、仮想ボディなりサイドベアリングなりが必要だということ。とにかく漢字は字種が多いから、一か二か三か、十一か土か士か、必要最小限のアキがないとわからない。たとえ本文をプロポーショナルで組むにしても、この必要最小限のアキを意識すると、それはベタ組に近づいていくことになる。
 * * * * * * * * * *
あまり長々と書いても仕方がないので、ひとまずこの辺で止めます。箇条書きを適当につなげただけの断片的な文章なので、読みにくかったと思います。すみません。
 私はとにかく勉強嫌いで感覚優先の人間だから、可読性についての知識は管見過ぎてかなり怪しいです。(古くは今井直一『書物と活字』(印刷学会出版部)あたりから、最近だと『出版研究』(日本出版学会)で可読性についての論文をいくつか読んだぐらい……)ここで書いたことが合っているのかどうか、自分でも正直わかりません。
 なので、面白い研究成果等があれば、ぜひ教えてください。