6月の新刊、太宰治『黄金風景』の書店さんからの申し込みFaxの一つに、太宰の「『女生徒』がだいすきです!」というコメントが付されていた。それを見て思い出したことがあったので、備忘録として書いておくことに。
以前関わっていた雑誌で、アートディレクターの葛西薫さんを取材した時のことだ。(その時の記事は『印刷雑誌』2006年11月号掲載「多くの人々に私信を届ける」です。)
と、その前に、当時の私のことを書いておく。
たとえば書店店頭で好きな作家の新刊が20冊平積みになっていたとする。当時の私は、その20冊すべてを手にとってチェックしていた。まったく同じ本に見えても、やはり一つ一つに個性がある。ぱっと見の傷や汚れはもちろん、本文の各ページが綺麗に印刷されているか、1冊を通して版面の黒みは一定か、などを順に見ていく。次に4色刷りのジャケットや帯などに見当ズレはないか、各色の見当をはじめ、背文字がビシッとセンターに来ているかどうか等々、細かい部分をチェック。そして最後に、本体、ジャケット、帯、それぞれでベストなものを組み合わせてからレジに持っていくのだ。いま思えば、ちょっと頭おかしいよね、当時の私。
閑話休題、葛西薫さん取材時の話である。
事前に用意していた質問はすべて聞き終え、本や文字や印刷についての雑談をしていたときのこと。葛西さんはご自身が装丁を手がけた『女生徒』(太宰治著、佐内正史写真。作品社、2000年)を手にとられた。その『女生徒』は帯の背文字がセンターから大胆にずれていて、私はそれが取材の途中からずっと気になっていたのだ。プロの仕事として、そのズレ具合はちょっとありえないでしょ、と。
そんな『女生徒』を葛西さんは手にとり、「ほら」と帯の背文字を指さした。私はてっきり「ありえない」という言葉が続くものだと思ったのだが、葛西さんがおっしゃったのはこうだった。
「ほら、こんな見当ズレっていいよね。人間らしくて。」
その瞬間、自分の目から鱗が落ちるのがはっきりわかった。今でも覚えている。本当にポロッと音が聞こえた。
こんな、私の中に巣食っていた「歪んだ書物愛」という憑き物をたった一言で落としてくれた葛西さんのことを、私は勝手に恩人だと思っている。(その後、高岡重蔵さんの思い出の会など、葛西さんとは何度かご一緒する機会があり、その度に今度こそはお礼を言わねばと思うのだが、なんだか照れくさくて、まだご本人には直接言えてない……)
その日以降、私は書店で何冊平積みになっていようと、一番上の1冊を手にとってレジに向かうことにしている。